このページは、2007年に閉められた、最初にレムリアン・シード・クリスタルが発見されたセラ・デ・カブラル山にあった、オリジナル鉱山に実際に現場に行ってビジネス取引をしていた、神秘家で水晶ディラーでもあるシーン・ゼンジャさんの写真アルバムから、何枚かの写真と、彼の記事を基にして、許可をもらって使い、制作しました。
彼のサイトに行くとスライドショーで見られます、このサイトには一部分だけ掲載しているので、全部見たい方は、直接シーンさんのサイトに行って見てください。暫く時間をかけてググったのですが、私が見つけた中では、これだけ詳しく、統合的に写真アルバムを創って共有しているのは、シーンさんだけでした。
レムリアン・シード・クリスタルが好きな方には、非常に貴重な情報だと思います。シーンさんのオリジナル鉱山のスライドショーのサイトはこちらです:
以下、シーンさんの記事の意訳と写真です、写真はクリックすると拡大します。
ジョアキン・フェリーシオという街、ブラジルのミナス・ジェライス州セラ・デ・カブラル山の頂上にある鉱山はレムリアン・シード・クリスタルのオリジナル・ソース、最初に発見された鉱山です。
1990年代に5人のブラジル人の従兄弟達が、最初に1950年代にアメリカ人によって始められ、その後閉められていた水晶の鉱山を再び開けました。彼らはこの他のクリスタルとは違う、「ムーソ・グロウス・ハビット」/”the Muzo Growth Habit” として知られている、横隆起線/”horizontal ridges” の入った大量の水晶を発見しました。
幾つかの水晶はカトリーナ・ラファエルさんに送られ、彼女はこの水晶と、神話的なレムリア文明との関係について記事を書きました。
この写真アルバムは最初のレムリアン・シード・クリスタルをブラジルの出所からの視点でとらえています。どのような地質学的なコンディションで水晶が成長したかを見ることができ、また、どのようにして採掘されたのかを見ることができます。
2006年8月に、最後のレムリアン水晶たちが、この鉱山から採りだされました。この鉱山の所有者さん達は、もっと沢山の水晶が、この鉱山にはあると信じていたのですが、新しい場所に鉱山を開く費用と、もっと多くの水晶があるということの不確実性から、2007年3月に機材を売り、鉱山を閉めることを決めました。このアルバムの最後の写真では、水で満たされた坑道を見ることができます。
興味深いことに、このオリジナル鉱山が閉める準備を進めている時に、半径15キロ以内に、三つの鉱山が構築されました。
そして、セラ・デ・カブラル山のレムリアン・クリスタルの物語は続きます。
乞う御期待あれ、バイブレーションを合わせておいてくださいね!
Stay Tuned!
もっと見たい方は、シーンさんのサイトでどうぞ: 最初に発見されたレムリアン・シード・クリスタル鉱山の写真集
シーンさんの他のサイト、連絡情報はこちらです:
神秘家、水晶ディーラー: シーン・ゼンジャ
Seann Xenja